2009年9月27日日曜日

ベルリンの秋 上・下。


最近、図書館で借りてきた「ベルリンの秋」春江一也著 を読み終えました。
ぱっと読み始めて、これは「プラハの春」という作品の続編のような書き方がしてあったので


一気に読む気がうせてしまいました。しかもいきなり漢字ばっかりで、政治や戦争の話で、 無理でしょ!私には!って思っていましたが、我慢して読めるとこまで読もうと思ったら、 かなりはまりました。きっと東ベルリンもチェコスロバキアも以前は同じ形をとっていたらから すごく興味がわきました。

この作者は実際日本の外務省の職員でプラハの春の時にチェコで大使館で勤めていて、それを目の前で体験した人です。なのですごい臨場感があり怖かったです。


彼はチェコのあとに東ベルリンの大使館に勤めます。彼がその仕事を終えて、膨大な資料を持って日本に帰ってきました。「この体験したことを何とか書き留めたいと思い、でも学術書や解説書はたくさんあるし、それでふと思ったのが、小説。登場人物が悲しんだり、泣いたりして、歴史をそのドラマの背景にすればいいんじゃないかと思いついた。ある部分は本当に起こったことだし、少ない登場人物も実在した人です。」と言っています。


私もこれが小説になっているからかろうじて読めたなと思います。授業や教科書、テレビなどでは伝わない、もっと具体的な生身の人間の苦闘が伝わってきます。それを感じて初めてベルリンの壁がどういうものだったか知ることができた気がしました。


また別の本ですが「打ちのめされるようなすごい本」米原万里著 に中国のことわざが紹介してありました。
「あなたが月を指させば、愚かな者はその指を見ている」

ベルリンの壁やベルリンの壁崩壊というものを見るだけで、そこで苦闘している人々を私は見ていなかったのだと思いました。
最近よくその壁があったときのベルリンやチェコのことについて考えます。

東ベルリンの社会主義に耐えられなくなり、何にもの人が西ドイツに亡命します。それを防ぐために一夜にして壁は作られたそうです。
まずその考えが怖い。

無理やり越境したものは射殺されます。最初は見張りの警官に射殺されるのですが、後になって自動的に越境しようとしたものを射殺する装置が取り付けられました。それに当たったら必ず死ぬという威力もので、まさに牢獄です。


チェコにはそんな壁がなかったにしても、近いものがあったのだと思います。
チェコの友人から今は観光中心の広場もプラハの春では、ロシアの戦車が来て民主化、独立のデモを鎮圧するために発砲したということを聞きました。


自分達の国によその国の人が来て支配するということがどんなことなのか、少しだけ想像できました。
日本も沖縄がそうだったし、今もきっとそうだし、
日本も満州などに乗り込んでとんでもないことをしてきたし、
でも私はそれを教科書やテレビでしかしらない。

実際チェコに住んで、この小説を読んで、たくさん泣きました。私が何かされているわけでもないけど、
なんだか人事と思えなくなる。チェコ人はこんな辛い目にあっていたのかと思うと胸が締め付けれる思いがしました。

この本の中に当時の東ベルリンは西とはかなりの差があり、なかなか物が手にはいらなかったようです。本の中にこんなやりとりがありました。
A「こんな車だけど政府に申請して12~~~後に手に入ったんですよ!」
B「12ヶ月も待つのですか?!」
A「違います12年待ったんです。」
B「!!」

これをチェコ人に車買うのに12年かかったって本当?と聞くと、
6年と答えました。
あと冷蔵庫とか電化製品は2日並ばなくてはいけなくて、家族総出で交代しながら待ち、よくやく手に入れたそうです。だからチェコ人はものを大切にするんだなと思いました。まるで生き物を扱うようです。(でも、ものによってはひどい扱いでその辺は意味がわかりませんが・・・)

0 件のコメント: